HSPワーママの散歩道

HSP気質のワーママによる徳を積む日々の記録

マインドフルネスと自分で自分の機嫌を取ること

悩みが尽きない。あのメール、あんな書き方でどんな返事が来るかしら、あの人からはこんな風に思われているかもしれない。仕事から離れたプライベートな時間でもそんなことが頭を満たす。その負の内容って次メール見たらそんなことなかったり、行きつくところに行きつくことばかりなのに、何か心に引っかかることを拡大鏡で見ては憂いている。洗濯を干しながら、料理をしながら、掃除をしながら、なんて自分は器用なんだと驚く。手を切らないように包丁で玉ねぎを薄切りしながら、そんな負の空想の世界に没入できる。ある意味器用というか、好きでやっているの?自分。と不思議になる。それより目の前のまな板の上の玉ねぎとそれを支える左手に集中しないとケガしちゃうよ!ある意味とっても器用なのだ。ああそうか、もっと集中力を要することを、負の妄想が入る余地のないようなことをしたらいいのではないか。というか、仕事中も負の妄想ばっかりして仕事に集中してないじゃん、と突っ込みを入れるべきだと気づいた。何であれ、今の私に与えられた仕事の役割、会社のどこのポジションにいたとしても自社にいる限り求められる「自律」という働き方、儲からない仕事に自分の本当の道があるんじゃないかとか、収入必要だからそっちに行けるわけじゃないのに、負の妄想しないで、できること、無理せずにがんばってやろうよ。何で今、ここに集中しないで逃亡してるんだよ、それがその態度が自分を苦しめているんだよ、と気付いた。つまり、過去でも未来でもない、「今、ここ」、「マインドフルネス」をすることでこの負の妄想の苦しみから逃れればいいと気づいた。逃れるべきはそっちなのだと。そりゃ今の収入がメインの仕事から別の道を見つけて離れる可能性もあるし、収入メインだと思っている仕事から天職性を見つけるかもしれない。どちらにしても集中、マインドフルネスが必要。今、ここ以外はすべて妄想、その時は何も起きていないのだ。未来を考えておくことは必要だと思う。これからどうしていきたいか、それが道を作る。けものみちかもしれないけど、必要なことだと思う。過去、素敵だった思い出、死ぬときに持っていきたい楽しい思い出、それは思い出すことはいいけど、負の妄想ってのは、それじゃないし。いい思い出だからって過去だからいつも思い出す必要ないんだし……。そう思うと過去と未来は考えていい時間を決めてそれ以外はマインドフルネスにするとか。そうしたら限られた時間で何考えようかな、と前向きになれることだけを考えられるようになるんじゃないか。前向きなことに時間を使えるんじゃないか。とか。あともう誰かに甘えるというか寄りかからずに、取るに足りない自分かもしれないけど、頼りない自分かもしれないけど、自分で自分を信じて、自分を頼ろうと思えた。大きくもない完璧なんてもってのほか、でもほかの人とは比べようもない、ただの私を信じよう、というか人のせいにしたり、頼ったりしないで、ありのままの自分を自分で信じてってことなのかな。でもそれは他人に対して「ありのままの自分」でいるっていう意味ではない。自分にとっての自分だけ。小さな陣地かもしれないけど、それに頼り、信じ進んでいこうと。負の妄想が小さなとるに足りないことでもネタにして妄想してしまう、こんな面倒もう嫌だ、と思ったのだ。負の妄想が浮かんで来たら、とりあえず、今、ここ、マインドフルネスだ。負の妄想のそっちの水につかっても、いいことないから。時間の無駄だから。ある意味心の体力有り余ってるってことなのかもしれないけど。(いやそんなことない、ぐったりしてた、悲しかった)人に無理に好かれようとも思わないし、な。

仕事に関しては、やはりちょっと俯瞰という距離感って要るなと思った。心を燃やせじゃなくて、心を冷やせ、いや違うな、頭を冷やせだ。熱い心と冷たい頭ってどっかで呼んだな。逆は困るって。熱い心は今はいらんと思っている。とにかく冷たい頭。それはいる。

過去の話、大学時代の卒業制作の時期に遊んじゃって納得いくような向き合い方ができなかったこと、今も夢に出てくるんだ。それから20年余り。でも戻れない取り返せない20年。取り返さなくていい。自分はその時その時、大切なことがなんなのか考えて選び取ってきた。死ぬときに楽しい思い出をたくさん持っていくことを大切に考えた。そのように行動できた。でも後悔はよくない。これからは納得いくように後悔を残さないように、楽しい思い出だけで満たせるように、負の分を消すための納得は必要かなと思う。でも今朝もっと情報があれば自分はいろんな発想が創造ができて可能性を拡げられると夢の中で思えた。もう卒業制作の夢は出てこなくていいよー。前に進もうよ、潜在意識の自分。だって仕事一筋だけだったら、家族も持てなかったし、この子たちにも会えなかったし、いつまでも人のまわしで相撲とってる感から抜け出さなかったよ。かの異動も、あの異動も自分が選んだことだよ。選んだ先でやっていくよ。

人のまわしで相撲取ってる人=人からの評価が大事な人いっぱいいるんだよ。でもちっぽけでも人ってもっと自由なものじゃないのかなと、漠然と思ってたんだよ。お金になるならないやら権力やらそういうものじゃなくて人の目が欲しい人っているんだよなあ。

まあそれはいいとして、ちっぽけな自分は無理できない。それしか領地がないんだから。それは仕方ないよ。でも、だから、そんな自分の機嫌を自分で取ることが大事で必要なんだ。2週間とか1ヶ月に一度くらい特別な時間も取りたいけど、そんなに我慢できないよなって思ったんだよね。毎日かな?どのくらいにどのくらいのご褒美があればやっていけるかな?無理するのがデフォルトになっているから、よく自分を観察してわかるといいな。こうやって書くことも一つの方法かも。歩くだけでもいいのかな。小さいけど。無理しないで解放できる手段が必要なんだろうな。自分の疲れとストレスとモチベーションを良く観察してやることが大切かな。

仕事の毎時間集中できたら、一つ納得いくよな。何したら納得いくか考えて、集中して実行して、その繰り返しかな。余計なこと考えずに集中するのが一番無駄なエネルギー使わない方法かも。

これ以上やらないって制限を作ることで集中するって方法はあるね。

今はホルモン的にいい時期だからホルモン的に悪い時期は今のようには考えられないのかも。そんな時でもさらに狭くなったその陣地の中でどう振る舞うか、行動するか、だよな。ちっぽけで、移り気で、一筋縄ではいかない自分だけど、一番無駄なエネルギー使わないやり方考えよ。

未来のこと集中して考えてもいいチートデイもいるな。